🎨 【AI生成との出会い】Playgroundアプリが教えてくれた「AIの優しさと、その代償」
1. 画像生成AIとの最初の一歩:モバイルアプリという選定
AI画像生成という分野が急速に進化する中で、今から6ヶ月前に
私が最初に選んだツールはスマートフォンで手軽に利用できる
「Playground」という名のアプリでした。この時は次から次に
アプリを試していたので未だに残ってます。

その可愛らしいアイコンとシンプルなインターフェースは
プロンプト入力や複雑な設定に不慣れな初心者にとって
非常に魅力的な「入り口」に見えました。
私の最初の試みは、自分の写真を元に、洗練された「リアル系イラスト」
を生成すること。特に、当時のトレンドであった
「韓国アイドル風」のクオリティを目指したいという
シンプルな目標を持っていました。
しかし、この手軽なアプリでの体験は
AIの持つ大きな可能性と同時に
「乗り越えるべき最初の壁」を私に突きつける結果となりました。
2. 「手軽さ」の代償:奪われた創造的な自由
Playgroundアプリは、いくつかの基本的な機能とシンプルなボタンだけで
構成されています。この「シンプルさ」こそが、クリエイティブな自由を求める私に
とっては最初の制約となりました。

- 自由度ゼロの設計: 複雑なパラメーターが排除されているため
画像比率(アスペクト比)を変更するオプションがありませんでした。
生成される画像のサイズや形が固定されているため
作品の構図を意図的にコントロールすることができません。 - 限定的なカスタマイズ: 加えられる要素も、アプリが用意した
下層のアイコンに限定されていました。プロンプトで微調整を試みても
最終的な結果に反映される裁量が極めて少なく
アプリが用意した「AIフィルター」の域を出ることはありませんでした。
このアプリは、ユーザーに「考える自由」よりも「すぐに結果が出る手軽さ」
を提供することで、私から創造的なコントロール権を奪い取っていたのです。
3. AIの「善意」と「モデルの偏り」が作った二つの壁
さらに、このアプリでの生成体験を難しくしたのは、AIのモデル自体が持つ構造的な制約でした。
3-1. 過剰な「優しさ」が生むイラスト化の壁
私がリアルさや実写レベルの質感を求めても、最終的に生成されるのは
デフォルメされたイラストでした。しかも、生成された自分のイラストは
友人に見せても「面影はあるけど、子供の頃みたいだね」
と言われるほど、幼いタッチに変換されてしまいました。

これは、アプリのAIモデルが「親しみやすさ」「可愛らしさ」
といった方向に、意図的にデフォルメ(変形)するように学習されていることを意味します。
この「優しい設計」は、一方で、私が求める「洗練された大人の質感」
や「リアルな表現」**という要素を、完全に排除してしまう結果を招きました。
3-2. 厳しすぎる「倫理規定」の壁
最もフラストレーションが溜まったのは、AIのセーフティフィルターでした。

私が求めた**「韓国人女性」や「韓国人男性」
といった、ごく一般的な人種や国籍を指定するプロンプト
を入力しただけで、画像生成が拒否(弾かれる)されてしまったのです。

これは、アプリ側が、特定の人種に関連する著作権、プライバシー
または偏見に満ちた画像の生成リスクを極端に避けるために
非常に厳格な倫理規定を設けている証拠です。
私の創造的な意図は、AIの過剰なまでの
「善意」と「安全志向」によって、実現の機会を奪われてしまいました。
4. 結び:AIとの出会いは「道具を選ぶ重要性」を教えた
Playgroundアプリでの一連の体験は、AIとの最初の出会いとしては
決して満足のいくものではありませんでした。
しかし、この経験は、「AIという道具は、その設計思想によって
できることとできないことが明確に決まっている」という
極めて重要な教訓を私に与えてくれました。
このアプリは、AI画像生成の「自由度ゼロ」の壁を私に見せつけることで
「自分の創造的な目的を達成するためには、より高度で、より自由度の高い
適切なツールを選ぶ必要がある」という
次のステップへの道筋を明確に示してくれたのです。
私の本格的なAI活用は、このアプリでの制約を知った
ところから、ようやく始まったと言えるでしょう。

